渡辺淳一さんが病院を辞めてから40余年、臓器治療はどう変わった?

移植のハードルは依然高いが、技術革新で再生に現実味

臓器移植のハードルは依然として高いが・・・(写真はイメージ、撮影:今井康一)

日本を代表する大手紙に「私の……」という人気の連載企画がある。筆者は大学生3年生のころ、就職課の職員に薦められて以来、30年以上も読み続けている。しかし、個人的にはこの欄が嫌いだ。

登場するのは財界の大物や大手企業のトップが圧倒的に多い。何人かと話をさせていただいたこともある(個別ではなく説明会やレセプションなどの会場で大多数の一人として……)。過去の成功にケチを付けるつもりは毛頭ない。むしろ尊敬している方々のほうが多いくらいだ。しかし、立身出世物語があまりにきれい事すぎるのが、読者の一人としては素直に納得できない。

なかには、合併会社や企業クーデターなどでドロドロの人事抗争を生き抜いてきた人物も数多くいた。人生の晴れ舞台ともいえる新聞連載で、過去の内幕を暴けというのは酷だろう。だが、少しでも内情を知っている人が読めば、きれい事の羅列は不愉快千番だ。当事者でもない筆者が読んでも朝の通勤ラッシュの不快感が倍増することもある。

これまで同欄で最も楽しく拝読したのは、4月に亡くなった渡辺淳一さんの「履歴書」だ。渡辺さんは当該紙にご自身の小説が連載されていたこともあり、同欄も読んだことがあったのだろう。自慢めいたことはあまり書いていない。医師であり人気作家だったから自慢できることは山ほどあったはずなのに、である。

渡辺さんが生前から標榜していた「私小説家」という立場からは、過去の登場人物とは一線を画す決意があったようにも思われる。数々のベストセラーを世に送り出してきたことから、「読ませよう」という作家としての意地もあったのだろう。

その内容は「私小説」などというレベルをはるかに超えたものだった。第1回の「なんとなく作家の道へ」から同僚と何度も読み返して不覚にも大笑いしてしまった。とにかく、破天荒な医師人生である。

北海道での医師時代には、美人看護師に次々と手を出し、妊娠させるやらなんやらで問題を起こす。さらに、渡辺さんの病院経営者の長女との結婚では、昔の女性からの報復を恐れた仲人の教授が脅えている様子も描写した。当事者が生きていたら騒ぎになりそうである。

だが、わずかながらシリアスな部分もあった。それは、渡辺さんが医師を辞めて作家を目指すきっかけとなった事件に触れたくだりだ。1968(昭和43)年に札幌医科大学の和田寿郎教授が日本で初めて行った心臓移植手術をめぐる事件である。筆者も子供ながらこの報道を克明に記憶している。

この事件が渡辺さんの運命を大きく左右することになった。渡辺さんは当初、和田教授の手術に対して好意的だった。しかし、ドナーの脳死判定への疑惑が浮上。これをめぐる渡辺さんの対応が院内で軋轢を生み、結果的に彼は病院に加えて医師という職業からも決別することになる。

現時点でも臓器移植は心臓に限らず、肝臓、腎臓などの分野でもハードルが高い。ただし、ここにきて他人の組織ではなく、機器や再生医療の技術を用いて問題を解決しようという動きも具体化している。iPS細胞により自分の臓器を再生しようという試みが現実味を帯びてきた。

アステラス製薬 (4503)は腎臓の再生を進めており、成功すれば糖尿病や慢性腎不全などの治療を飛躍的に進歩させるだろう。ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング(7774)、セルシード (7776)などの企業は表皮、軟骨に続き、角膜上皮などでも医療への応用を加速化させている。これらの技術革新は、ドナーの臓器に依存しないという点で極めてすばらしいとは言えまいか。

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