"新生"メディネット、新法施行後の免疫細胞療法の先行き(下)

木村佳司会長兼社長に直撃

小長 洋子
メディネットの木村佳司社長兼会長(撮影:尾形文繁)
 再生医療関連の新法施行から5カ月。新法を追い風に免疫細胞療法を推進している、バイオベンチャーのメディネット。昨夏には若手取締役たちとの経営権争いで内紛も起きたが、創業者側が経営権を奪還する形で終結した。木村佳司会長兼社長が思い描く今後の戦略とは。前編はこちら

「免疫」をキーワードに起業を決意

ーー当時としては大変冒険的な事業での起業ですが、きっかけは?

 HOYAのメディカル事業部に15年在籍し、最後に本社の経営企画部で企業買収をいくつかやりました。そのうちの一つで経営再建に当たり、2年で黒字化するなど、自分として達成感を得ることができました。一方、私自身が幼い頃にかかったひどいぜんそくを治して健康になった経験があり、小さくてもいいから何か世の中に恩返しをしたいと思っていました。

 そんなこともあって会社を辞め、43歳で起業しました。免疫をキーワードにするとは決めていましたが、具体的に何をやるかは決めておらず、いろいろな人に会って勉強しました。そんなとき、たまたま訪ねた知り合いから江川滉二先生を紹介されたのです。1997年のことでした。

 江川先生とはすぐに意気投合し、フランクにいろいろ話をしました。その時に免疫細胞によるがん治療の存在を知ったのです。可能性はあると思いました。この治療法を普及させることができるのか、やってみないとわからない。それでも、やってみよう、と。ただ、弱点がありました。高度先進医療としていろいろな大学で研究され、データは出ていましたが、そのデータを評価する方法がなかったのです。

 それでも江川先生は医師ですし、免疫細胞療法に細胞加工を事業として組み合わせれば、ビジネスとしての形はできる。細胞加工技術の調査のため、米国にも行きました。そして99年4月に東京・世田谷の瀬田でクリニックを開業しました。1階が医療機関、2階が細胞製造施設、3階が分子免疫学の研究所です。これで江川先生の免疫細胞療法を患者さんに届ける仕組みができたのです。

ーー創業4年後の2003年には東証マザーズに上場しました。

 当時はバイオベンチャーブームの最後のころで、株価もあまり高くならないだろうから延期したら、と言われました。しかし、多少調達額が少なくなっても早く患者さんに免疫細胞治療を届けることを優先したいと考えました。

 その一方で、患者さんに治療を届けるには大きな問題がありました。法律です。細胞加工は手術と同様に、医師の指示の下で行わなければなりません。しかし、医師も看護師もそんな経験はほとんどない。細胞生物学の研究経験がないと無理です。培養の仕方、雑菌が入らないようにするための管理など、難しいことがたくさんある。事業開始直後から、こうした「制度づくり」には苦闘しました。

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