リプロセル、"門外漢"が描くバイオビジネスの最終形(下)

横山周史社長に聞く

小長 洋子
iPS細胞培養のトップランナーといわれるリプロセル(4978)。2014年には世界的に著名な米英のバイオベンチャーを次々に買収し話題を呼んだ。リプロセル創業の経緯から今後の戦略まで、横山周史社長に聞いた。前編はこちら
よこやま・ちかふみ●1968年生まれ。東京大学工学部卒、96年東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻博士課程修了(博士号取得)後、マッキンゼー入社。97年住友スリーエムを経て、2004年リプロセル取締役事業開発部長就任。05年11月より現職(撮影:尾形文繁)

ーーリプロセルは、中辻憲夫先生(京都大学名誉教授)や中内啓光先生(東京大学教授)といった世界屈指の幹細胞研究者によって創立された会社としても有名ですが、お二人とはどのように出会ったのですか。

 実は、先生方と直接面識があったわけではありません。SBI系のベンチャーキャピタル、トランスサイエンスから経営者を探している、という話があり、前職から移ってきました。会社としての登記は2003年にされ、二人の先生方が創業科学者になっていましたが、実際には中身はまだ白紙で、何をやるか、どういう形でやるかを検討するところから始めました。私が社員第1号なんです。

ーー会社設立2年後から社長を務めているのは、そういう経緯だったのですね。ご専門は触媒化学で、博士号も取っています。化学系の前職からバイオベンチャー、しかも研究職から経営者に移り、戸惑いはありませんでしたか。

 博士号を取ってからマッキンゼーに1年半いて、その後、住友スリーエムの研究所で製品開発をしていました。博士号は取ったものの、実質的には新卒でそれまでは研究のフィールドしか知りませんでしたから、マッキンゼーで違うフィールドの人たちと仕事をできたのが良かった。ビジネスの進め方をここで学び、仕事のスタイルを確立したと思っています。

バイオ産業でも新技術の開発は同じ

 しかし、ずっとコンサルにいるつもりはなく、いつか化学の世界に戻りたいと思っていました。それで、住友スリーエムに移りました。ラボだけでなく新規事業の立ち上げにもかかわりました。社内プロジェクトでしたが、少人数で立ち上げて、事業企画書から顧客のマーケット調査、顧客との共同研究、人を増やして試作品を作り設備投資をするなど、まさにベンチャーの起業でした。残念ながら開発途中でマーケットが変わってしまい、実現はしなかったのですが。

 このプロジェクトが終わったときに、また何か新しいことを立ち上げたいと思いました。ただ、大企業、特に外資系で本部はアメリカにある会社の日本法人の研究所、という立場では制約が多いと感じていました。新しいことをやるなら独立するほうがいいかな、と考えていたところに、リプロセルの話がきたのです。

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